日本共産党いわき・双葉地区委員会ブログ

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浪江町議 馬場いさおのかけある記

 お 別 れ の こ と ば

  いつも心の中にあり続けた文雄さん。無念にも8月2日午後4時半頃、石井啓輔さんから訃報の電話が入りました。 そのとき私は、議会の公務で弘前大学被ばく医療総合研究所からの帰途、同僚議員と新幹線の中でした。何とも虚しくて、悲しくて、悔しい思いのまま、私は心の空白の時を過ごさざるを得ませんでした。

家族思いの文雄さん、牛と共に生きた文雄さん。病気を押してでも、どんなにか津島に帰りかったでしょう。生きたかったでしょう。どんなに心残りか。家族もまた同じだと思います。津島のあの広々とした草地で元気に働いていた文雄さんの姿が目に焼き付いて離れません。

 

文雄さん。あなたは不思議な生命力を持った人だと思ったことがあります。今から14~5年前、軽乗用車のあなたが大型トラックに跳ね飛ばされた時のことです

 岩のようなその石と石の間の堀に車ごと5メートル以上も突き飛ばされた時の交通事故は助かったのが奇跡としか思いてなりません。長期入院を余儀なくされたのですが、退院して程なく牛舎にいるではありませんか。

 それだけではありません。水を得た魚の如く、トラクターに乗り草刈り反転作業もこなしているではありませんか。誰が止めても聞かなかったでしょう。まさに百姓の意地と根性そのものを見せつけられた思いでした。 

あなたは意志が強固なだけではありませんでした。私は赤宇木生産振興組合の役員を発足当初から一緒に続けてきました。個人の契約とお金が伴う仕事ですから、苦情や不満が出て当然です。全くなかったといえば嘘になると思いますが、一貫して公明正大でした。一人の人間として心底信頼できる人でした。

 

浪江町でも組合が存続し、土地利用集積事業原発避難のその時まで継続していたのは多分、赤宇木地区だけだと思います。地域農業にどれだけ貢献されたか計り知れません。何かあれば必ず役員会を開き、組合員の利益優先で心ひとつに纏めてきたのは、組合長の強い信念と、熱い人望の賜でした。生きた仏さんがいるとすれば、正直あなたはそういう人でした。違うところがあるとすればお酒が大好きなところかもしれません。組合事業が一段落した後、「山クジラ」のレトロな雰囲気で飲む酒はまた格別、なかなかありつけないイノシシのリブと、今だから言える特別のお酒はその場を盛り上げ、ひとしきり雄弁になるのです。

 

文雄さん、いま一度うまい酒を飲もうよ。 

民百姓のそうした楽しみと、積み上げてきた暮らしを、根こそぎ奪ったのが平成23年3月11日、世界最悪の原発事故であります。今は、あなたのあの家も、田も畑も人を寄せ付けない「帰還困難区域」にされてしまいました。白追川から流れ込む清流の音、石の門と風格ある静かなたたずまいの自分の家に、あなたはどんなにか帰りたかったか。病弱の身で避難移動を4回もされたとか。どんなにか辛かったでしょう。避難のたびに命を縮めた国や東電に怒りを持つのは当然です。事故の責任と賠償は一体のものであり、「オール浪江」で生活再建のため闘う決意です。

 今、ひとり一人が背負っている荷物は途方もなく大きいものです。想像を超える過酷なものかもしれません。でも生きてゆかねばなりません。あなたは最後の最後まで生き抜く姿を私たちに見せつけてくれました。長い間本当にお世話になりました。文雄さん、もう、これでお別れです。あなたに恥じない生き方を求め続けます。浄土の世界からわたしたちを見守っていてくださいね。どうぞ安らかにお休みください。さようなら。    

 2013年8月6日  浪江町議会議員     馬 場  績