日本共産党いわき・双葉地区委員会ブログ

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広野町議・畑中ひろこの広野通信

 

5910日 東日本大震災災害復興特別委員会が新潟県山古志村(現長岡市山古志区)を視察

 

 平成161023日、中越大震災が発生し、旧山古志村を中心に、長岡市近郊の各地に甚大な被害をもたらしました。特に被害が大きかった旧山古志村の状況130510_092702はテレビなどでも大きく取り上げられ、私たちの記憶にも残っているところです。広野町議会議員12人全員で構成される特別委員会は、復興した旧山古志村を視察し、広野の復興に役立てる何かを全員で学んでくることにしました。

  中越大震災のあと長岡市と合併し、山古志区の住民が帰還したのは32ヶ月たってからでした(私たちは長岡市役所の中で、山古志サテライトの井上さんから説明を受けました)。帰還に向けてみなさんが掲げたスローガンは「帰ろう山古志へ」でした。もともと、地滑りの多い地区だった山古志は、崖崩れの被害が甚大で、溜池から
流れた水が家屋を水没させたり、流失させたりしました。地域をつなぐ道路も寸断され、逃げ道を失った各集落の皆さんは多くの方がヘリコプターで救出されました。避難するまで、家屋の外でビニールテントを張り、近所の方々で持ち寄った食材で煮炊きして過ごした人たちもいたそうです。全村避難し、仮設住宅がつくられるまで民泊したり、会館の中での集団生活が続きまMini_130510_11040003した。私たちは、復興するまでの状況を
DVDで視聴することができましたが、私たちの避難生活とも重なって涙なしではみられませんでした。 

 旧山古志村は、その名のとおり山の中にあり、棚田や棚池、錦鯉や牛の角突きで知られているところでした。12の集落があり、その絆は大変深いということです。長岡
市役所で説明を受けた翌日
10日に、長岡市役所のご好意でマイクロバスを用意していただき、私たちは旧山古志村を訪問しました。復旧したとは言え、崖崩れを修復した数々の地点、棚田や錦鯉のいる池などを目の前にして、ここまでにするのにどれほど大変な作業であったかを強く感じました。雪の深い集落ということも復旧への道のりが遠いものに感じたのではないかと思いました。しかし私は、日本人の暮らしの原点がここにあると思いました。澄んだ空気と清らかな水、棚田と錦鯉と牛、たくさんの山菜がとれ、人々の深いつながりがある村、都会の便利さからはほど遠いけれど、私たちが忘れかけているものがここにたくさんあると感じました。 

 山古志に帰還し生活していくために、住民ひとりひとりの気持ちや思いを大切にしようと意思確認をしながら、11軒と話し合った取り組みを進めた長岡市の考え方に共感しました。